次回研究会のお知らせ

日時 5月31日(日)14:00~16:00
◆コロナ・ウィルス感染拡大防止のため、Zoomによるオンライン配信で行います。
◆イトー・ターリさんの発表は、6月14日よりYoutubeでご覧になれます。
https://youtu.be/5Le2NZkoNr0

当日のオンライン会議のURL:https://zoom.us/j/97809829343
 入室パスワード請求:https://forms.gle/n3dfXnHWYs2UwBd38

*パスワード流出による会議の荒らしを避けるために、参加する方はGoogleフォームよりパスワード情報を請求してください。開催前日(30日)にパスワード情報をお送りします。またパスワード情報はSNSや他者へ転送することはお控えください。
*PCからZOOMへアクセスする場合は事前の準備は必要ありませんが、タブレットやスマートフォンから入室する際は専用アプリが必要になりますので、事前にダウンロードをお願いいたします。

主催:イメージ&ジェンダー研究会

研究発表、活動報告 14:00~16:00
オンライン配信のため、全体会議は行いません。
挨拶と注意事項 中嶋泉(東京都立大学人文科学研究科 准教授)

発表① 14:00~14:40 (質疑を含む)
司会:中嶋泉
発表者:井芹真紀子(中央大学他 非常勤講師)
「フェリックス・ゴンザレス=トレスと「病む」身体:反復される断絶と越境性への希求」

  <休憩 5分>

発表② 14:45~15:50 (質疑、適宜休憩を含む)
司会:北原恵(大阪大学文学研究科教員、表象文化論・美術史)
発表者:イトー・ターリ(パフォーマンス・アーティスト)
「『パフォーマンスアート、ならばまず見なくては…』と若桑みどりさんがおっしゃった」
コメンテータ:岩川ありさ(現代日本文学、クィア批評)

全体の質疑応答 15:50~16:00
司会:北原恵
企画・運営:中嶋泉、北原恵、小勝禮子
予約不要、参加自由。
なお、Zoom参加人数に上限があるため、万が一定員に達してご参加できなかった場合は、ご容赦ください。2番目のイトー・ターリさんのご発表のみ、後日、youtubeで配信する予定もあります。


発表要旨1
フェリックス・ゴンザレス=トレスと「病む」身体:反復される断絶と越境性への希求
井芹真紀子(中央大学他 非常勤講師)

本報告は、エイズ危機下の米国で活躍したアーティスト、フェリックス・ゴンザレス=トレスの作品を手がかりに、「断絶」として現われる身体境界への着目から、初期クィア理論の射程の再考を試みるものである。エイズという「感染する病」の拡大に伴い激化する同性愛嫌悪と感染者の国家的黙殺に抵抗する80年代のエイズ・アクティビズムから発展したクィア理論において、身体境界の侵犯や越境をめぐる議論とは、「内部」と「外部」、「自己」と「他者」を切り分けるドミナントな社会規範を構築する境界それ自体の浸透性や不安定性を暴き出し、撹乱する可能性を示すための重要なテーマのひとつであり続けている。

ニューヨークを中心に活動したアート・アクティビスト集団「グループ・マテリアル」のメンバーでもあったゴンザレス=トレスの作品もまた、この時代のエイズ・アクティビズムの戦略に明確に呼応するものである。とりわけ、「プライベートな喪失」をパブリックな空間に掲げるビルボード作品や、彼のパートナーの体重分積み上げられたキャンディを観客が手に取り、食べることで文字通り「体内化」する作品群などに顕著であるように、ゴンザレス=トレスの作品はしばしばその越境的な政治性が指摘されてきた。

しかし本報告では、ゴンザレス=トレスの作品におけるこれらの越境性への希求には、身体の物理的生存を脅かす「病」や、「死」の共有不可能性によってもたらされる越境不可能な「断絶」の経験が、つねにその裏側に貼りついている点に着目して読むことを試みたい。越境ではなく、むしろ断絶として経験される身体性という視点からクィア理論における身体境界のポリティクスを再考することで、越境可能性への注目の裏側で見落とされてきた「クィアな身体」の可能性を検討する。

発表要旨2
「パフォーマンスアート、ならばまず見なくては…..」と若桑みどりさんがおっしゃった
イトー・ターリ(パフォーマンス・アーティスト)

I&G研究会での発表は3回目だと記憶しています。「自画像」をライブパフォーマンスした1997年とウィメンズアートネットワークWAN主催「越境する女たち21」展の報告をした2002年ではないかと思います。20年近くが過ぎて、今回発表させていただくことになり、勢い込んであれこれ考えてしまいましたが、やはりパフォーマンスを丁寧に追って紹介することに尽きると思い至りました。

パフォーマンスの展開を4つに区分できると思います。①1995年以前=フェミニズム、ジェンダーとの出会い、②1996年~2006年=セクシュアルマイノリティを可視化する、③2006年~2013年=日本軍「慰安婦」や軍事下の性暴力に応答する、④2011年~現在=原発事故と闘病。

ただし、今回は時間が限られていますので、①を省かせていただきます。

また、もう一つのアクションとして、繋がるための場作り「ウィメンズアートネットワーク(WAN)」と「PA/F SPACE」について報告したいところですが、またの機会とさせていただきます。

できるだけ多くの記録映像や写真をお見せしながら、パフォーマンスで何をしようとしたのかをお話したいと思っています。

1990年にジェンダーという概念を知って「これで生きていける」と鮮烈に思い、また、「個人的なことは政治的なこと」を指針にして駆け抜けた表現者だと自覚しています。最近になって政治性のあるアートへの理解がなされるようになりましたが、私の経験は否定的な扱いに抗するものでした。

第4波としてのフェミニズムが語られる現在、そこに繋げたものや繋げられなかったものが何なのかを私自身知りたいと思っています。

この問いについて、コメンテーターを引き受けてくださった岩川ありささんと、もうひとりの登壇者井芹真紀子さんと対話できたら幸いです。

尚、オンラインで参加の皆様には、事前に文書資料(A4,10枚)に目を通していただけますと、トークの進行に助かります。
*イトー・ターリさんの資料は会員以外にはパスワード情報と併せて配布いたします。


登壇者略歴

井芹真紀子
専門はフェミニズム/クィア理論、ディスアビリティ・スタディーズ。特に「痛み」や「病」の経験と身体境界をめぐる問題に関心があります。今回の発表と関連した論文として、「フレキシブルな身体―クィア・ネガティヴィティと強制的な健常的身体性」(『論叢クィア』第6号、2013)、「まだ–ここにないクィアネス―ホセ・E・ムニョスが読むフェリックス・ゴンザレス=トレス」(『美術手帖』2017年11月号)、「〈不在〉からの視座、〈不在〉への視座―ディスアビリティ、フェミニズム、クィア」(『現代思想』2019年3月臨時増刊号)など。

イトー・ターリ
1951年東京生まれ。1996年自身がセクシュアルマイノリティであることについてのパフォーマンスを行う。そのことによって無視されている声や忘れ去られている事への「応答」へと導かれる。身体、ジェンダー、軍事下の性暴力、原発事故をテーマとした。また、ウィメンズアートネットワーク<WAN>(1994~2003)、PA/F SPACE(2003~2013)を運営、人が出会う場を作った。 

岩川ありさ
現代日本文学を対象にして、トラウマについて語ることの可能性と不可能性について、社会、言語、歴史との関わりから研究しています。主な論文に、「多和田葉子の「星座小説」―『星に仄めかされて』をめぐって」(『群像』2020年6月号)、「前未来形の文学―小野正嗣『獅子渡り鼻』論」(『現代思想』2019年3月臨時増刊号「総特集=ジュディス・バトラー」)、「私は街を歩きたい : インベカヲリ★『理想の猫じゃない』論」(『JunCture : 超域的日本文化研究』10巻、2019年3月)など。