次回研究会のお知らせ

日時:6月10日(土曜日)

会場:上智大学(四ツ谷キャンパス)、10号館3階、301号教室

■運営会議:12:00~12:45

*設営・準備

■研究会: 13:00~17:30

研究報告

(1)中嶋 泉(首都大学東京教員)

1950年代に女が描くこと―フェミニズム美術史の視座から

コメンテーター 小勝 禮子 (近現代美術研究、元栃木県立美術館学芸員)

(2)高橋律子 (金沢21世紀美術館学芸員)

現代美術における「縫う」という行為をめぐって―金沢21世紀美術館「ぬう」展を中心に

コメンテーター 吉良智子(東洋英和女学院大学他非常勤講師)

また、研究会後、懇親会をひらく予定です。別途ご案内を差し上げますので、どうぞご予定ください。

■会場案内

上智大学は、四ツ谷駅から徒歩5分。

会場は、10号館3階、301号教室です。図書館前にある6階建ての白いコンクリートの建物です。

http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/accessguide/access_yotsuya

■お問い合わせ:imagegender@yahoo.co.jp

企画担当:村井則子・小勝禮子

発表要旨

中嶋 泉

「1950年代に女が描くこと―フェミニズム美術史の視座から」

本発表では、第二次世界大戦後1950年代前半より前衛美術運動に参加した女性について、福島秀子、草間彌生、田中敦子を例に、戦後の女性画家たちの状況をフェミニズム美術史的な視座からいかに位置付けられるかを考察する。

男女平等が法制化された戦後、文化業界で注目される女性は「才女」と呼ばれ、ブームを引き起こした。だが「才女」の活動は、50年代に女性の多数派となりつつあった主婦層から分断された、一部のエリート女性の境遇として女性運動史上の意義を見出しにくい。そのいっぽうで、あいかわらず男性をリーダーとした前衛美術運動のなかで、女性画家たちは注目を浴びつつも未だに周囲の期待と折り合いをつけながら、あるいは反抗しながら制作し、自身の作品の意味を考える必要があった。たとえば、戦後の前衛美術と呼ばれる運動体には、吉原治良、瀧口修造、阿部展也ら男性指導者と戦後世代の女性画家の間に「父娘」的関係がしばしばみられたが、彼女たちの活動はその枠組みと内と外で行き来をしているように見える。発表では、彼女たちの当時の制作・発表環境、組織内の政治性、批評言説のジェンダー的特徴を分析し、「才女」と呼ばれた女性画家たちの活動の、フェミニズム美術史的位置付けを目指す。

高橋律子

「現代美術における「縫う」という行為をめぐって―金沢21世紀美術館「ぬう」展を中心に」

コンセプトが重視される現代美術において、女性の手仕事とされる「手芸」を制作手法とすること自体が「ジェンダー」に対する意味を持ち、多くのアーティストたちが意識的に「手芸」を選択してきた。しかし、ここ数年、「日常」が重要なテーマになるに従い、女性の生活の極めて近いところにある「手芸」を肯定的な表現として手がける作家が増えてきた。家族のためというエクスキューズが時にありながらも、それがかえって女性の創作行為としての居場所も作り、無心に縫い進めることの瞑想的な心地よさがあることに女性たちは確実に気づき始めている。近年の手作りブームにもそうした気分が充満しており、ゆるく過剰な幸福感でむんむんしている。

もはや、アートとアートでないものの境目を論じる意味は失われつつあるが、美術館という分別機能を持つ立場に身を置く者として意識するのは、表現せざるをえない行為か否か、である。無心に縫い続けてしまった結果、完成したものには作家自身が多分に投影されている。これまで美術史では無視されてきた「手芸」という技法は、身体的な感覚が極めて重要な表現行為として立ち上がってきているのではないだろうか。

2015年に金沢21世紀美術館のコレクション展として開催した「Nous ぬう」展は、そうしたある意味新しい表現行為を問うてみたいと考え、企画した展覧会である。日本語の「縫う」に、音の近いフランス語の「わたしたち」を意味する「Nous」(ヌゥ)を充て、「女性たち」の存在をそこに込めた。この展覧会を象徴する作家として招聘したのが沖潤子である。何かを描こうとするのではなく、内在する感情の起伏そのまま「縫う」行為を集積していくことで表現していく沖の作品は、見る者の感情をえぐる。他、「ぬう」展に出品した鴻池朋子、モンデンエミコなど、自分自身と「縫う」行為を重ね表現する作家を取りあげ、現代美術における「縫う」ことのあり方、「手芸」的手法の位置について検証したい。